4月20日で震災支援が終了しました。
愛媛チームは朝の全体ミーティングに参加して、
東京行きのバスに乗り込みます。
一週間という時間は、アッという間に過ぎて行きました。
凄い早さで過ぎた時間ですが、とても密度の濃い時間でもありました。
自分の出来たことを考えると
微々たることでしかないかも知れませんが、
誰かの何かの役に立っていればと思います。
本音を言えば、もう少し宮城に残り何かができればと考えることもありましたが、
限られた時間や期間の中で、出来る仕事をおこなうことも
一つの方法だと考えて残りたいと言う気持ちを切り替えました。
また、今回は多くの全国の支援者と仕事をしたり、会話を交わすことが出来て
自分の仲間が増えたようにも感じることができました。
同じ時間を共有して、同じ目的で行動をすることで普段は感じる事ができない
一体感を強く感じたのかも知れません。
やり残した仕事の方が多いかも知れませんが、
今回の宮城県坂総合病院での支援活動は終了です。
今回の支援の経験を生かして、次に自分が参加をする支援活動に生かしたいと思います。
タニ でした。
震災支援終了。
震災支援その5.。。
4月19日。
震災支援日の5日目のスタートです。
宮城の坂総合病院で活動をはじめて、一週間になろうとしていました。
一週間ほど支援活動を行っていると全国の支援者ともかなり仲良くなれましたが。。。
支援を終えて帰るメンバーも出てきます。別れは、寂しいものですが。
事務局で一緒に仕事をしたメンバーの、鳥取のタナカさん、静岡のタカシマさんも
支援活動を終えて、帰路について行きました。
20日の朝には愛媛のチームも支援活動を終えて帰路につきます。
残り、1日でしたが自分たちに出来る活動を精一杯することができました。
夜の訪問活動を終えて、多賀城市文化センターの支援メンバー全員と
記念撮影をしました。
また、何かの機会にはお会いしたいと感じる宮城の最後の夜でした。
タニ でした。
4月18日。震災支援4日目
深夜0時過ぎの、変なテンションから目を覚ますと。
4日目のスタートです。
4月18日からは、多賀城市総合文化センターの事務局として活動します。
多賀城市文化センターには、午前10時から午後12時までと
午後19時~20時までの1日2回訪問を行っていました。
この日の訪問チームは30名でした。
診療チーム・ラウンドチーム・足浴チームにわかれて活動します。
問診スペースは、病状を訴える人や血圧測定を希望される方など
様々な人が来られます。
診察スペースも、18日から専用の個室を文化センターから提供してもらえたり
足浴チームは、常時5~6人の人が待っている状況が続いていました。
足浴チームでは、入浴剤を使った足浴を行うなど利用される方がリックス出来るように
心がけてました。その中で、震災した時の状況など色々な話を聞くことができました。
避難所訪問は、訪問する度に様々な問題が起こります。
そのたびに、臨機応変に対応することが求められました。
タニは、医療従事者ですが事務職なので直接の医療行為などが
出来る訳ではありませんが、避難所訪問で被災者の方の対応をするたびに
何かの役には立っているとい実感を感じれました。
この日から、オーエスワンでの栄養摂取が必要となった
タニ でした。
震災支援その3
4月17日、震災支援3日目がスタートしました。
この日は、多賀城市総合体育館の訪問に行きました。
先日、ブログで書いた多賀城市文化センターより少し規模の小さな避難所になります。
タニは足浴隊のメンバーとして、足浴を利用される方に快適なお湯を供給する担当になりました。
17日の避難所訪問は、午前中で終了でした。
17日の午後からが、激動の日々がスタートしました。
訪問には、事務職員が事務局として配置をされるのですが・・・・・
この、事務局にタニが任命をされてしまったのです!
事務局のお仕事は、避難所訪問時に、訪問チームの仕事が円滑におこなえるように
事前の準備や訪問チームのメンバーの役割分担を決めたり、避難所との打ち合わせなと
まさに、訪問チームの黒子役としての仕事をすることになりました。
多賀城市総合体育館の事務局さんです。
タナカさんは、鳥取医療生協から支援に来られていました。
実は、タニの知り合いです!
18日の多賀城市文化センターの訪問に備えて、事務局の先輩からアドバイスをもらいながら
仕事を進めました。
実は、17日はもう一つ特別な日でした。
愛媛のハラDrの誕生日だったのです!
ささやかですが、夜に仲良くなった全国の支援者と一緒にお祝いをしました!
誕生日会後、タニは仕事にもどり・・・・・
時間はどんどん過ぎて・・・
タナカさんは、変なテンションになり。
3日目が終わり、4日目がスタートした。
タニ でした。
震災支援その2
4月16日。震災支援2日目がスタートします。
朝礼に参加をします。元気な愛媛チームのPTさんです。
この日の予定は、多賀城市総合文化センターへの医療訪問でした。
多賀城市総合文化センターは坂総合病院の近くにあり
市内で一番大きな避難所となっており、800人ぐらいの方が
避難生活を送っていました。
医療訪問チームは、医師・看護師・薬剤師・その他技術職からなる20人ほどのテームです。
文化センターにつくと、医療訪問チームでのミーティングがおこなわれます!
避難所には様々な支援者の方は入っているので、どこの団体かがわかるように
ジャケットを着て活動しました。医師はオレンジ・看護師はピンク・その他はミドリ
となっていました。
避難所でおこなう活動は、診察・避難所内のラウンド・足浴の3つの活動にわかれて
行動しました。
診察ブースを作ったり
足浴のブースを準備したり
準備が出来たら活動開始です。
問診ブースで詳しい症状の内容などを聞いた後に診察ブースに入ってもらいます。
足浴チームは人気チームです。小さい子供から高齢者の方まで
様々な人が利用をされます。
初めて避難所に訪問をしたのですが、避難所には様々な方がいらっしゃいました。
家族で避難されている方・高齢者で一人で避難されている方
ペットを連れて避難されている方などが慣れない避難生活を送っている
現状を知ることができました。
自分ができる事を何でもしたいとさらに強く感じる震災支援2日でした。
偶然、全国からの支援者の中に岡山の知り合いの看護師さんを見つけた
タニ でした。
震災支援
4月15日より、本格的な震災支援がスタートします。
愛媛チームも気合十分です!
東北地方の朝の冷え込みの厳しさを教えてもらった部屋で
白衣を着るハラDrです。
朝一番に、全体の朝礼があります。朝礼で、昨日の避難所訪問の様子などが報告され
色々な情報が共有出来ます。
タニは、長町クリニックの病院片づけに配属先が決まり向かいました。
長町クリニックは、坂総合病院から車で40分ぐらいの場所にありました。
3月11日の震災で建物に大きな被害を受けており取り壊しが決まっていたので、
クリニック内にあるカルテなどの必要な資料を引越しさせることが仕事でした。
天井が崩れていたり、建物の瓦礫が飛び散っていたり。
約20名の支援者で引越し作業を頑張りました。
夕方になり支援が終了して時間があったので、若林地区という別の被災地を見ました。
老人ホームが津波の被害を受けていたり、住宅街のハズが家が一軒もなくなっていたり、
あらためて被害の大きさを感じました。
一日目の支援が終了。
タニ でした。
サバイバルな夜
被災地訪問が終わって、坂総合病院に戻るとすっかりと日が暮れていました。
愛媛チームは病院に戻ると素早く・静かに寝る場所の確保を行いました。
坂総合病院の隣にある、坂総合クリニックが支援者向けに解放されていましたが、
全国からの120名の支援者が来ており、寝る場所の確保を怠ると大変なことになりますので・・・
愛媛チームは、ハラDrの人脈など様々な策略を情報を収集して
快適な睡眠スペースを確保しました。
この部屋の優れている点は・・・
食堂でもないのに、非常食のストックが豊富で
ポットがあれば、いつなんどきでも非常食が食べれる店
ソファーがあり、ベットの代用として利用できる点
どこでも寝れる男性陣には夢の空間でした。
ただ・・・・・
4月にあった大きな余震の影響で電気が使えない状況で・・・
ポットでお湯を沸かすという夢は。。。儚く消えたり・・・・
東北地方の朝方の冷え込みの厳しさを教えてもらったり。。
住んでみると様々な改善点が見えてくる状況がありました。
ちなみに電気が使えない坂総合クリニックは・・・
外から見るとこんな感じです。
誰も居ないような感じですが・・・
上記にある写真のように支援者の皆さんが、生活をしています。
震災一日目が過ぎて行きました。
坂総合病院の対策本部で愛媛から届いた支援物資を発見した
タニ でした。